インタビュー

Interviewseries vol.3「株式会社kitafuku(きたふく)」松坂匠記、松坂良美

「メディケアナース」は、看護師として働くひとの休日に“のんびり”を届けるウェブマガジンです。私達が考える“のんびり”とは「私を楽しみ、私と語らう時間」。

インタビューシリーズでは、ジャンルを問わず様々な立場のひとにとっての「自分自身との対話を経て、選択した道や考え、大切にしている時間」について探ります。

vol.3は「 株式会社kitafuku(以下「kitafuku」という)」松坂匠記さん、松坂良美さんです。休日、のんびりのお供にどうぞ。

写真・文:工藤 葵 ( 写真家)

松坂匠記 (写真右)

kitafuku代表取締役、システムエンジニア。福岡県北九州市出身。高校野球好き。twitter

松坂良美 (写真左)

kitafuku取締役、漫画を描くエンジニア。北海道旭川市出身。twitter

株式会社kitafuku(きたふく)

「好き」と「得意」から生まれる”やってみよう” を二人三脚で応援する会社。 クラフトビール醸造過程で出るモルト粕を混ぜた再生紙 クラフトビールペーパー の開発。地元である北海道、福岡をはじめ、地域・企業の想い(=ストーリー)を知ってもらうためのサポートを行っています。 HPInstagram

はじまり

私達は、様々な“他人”と意思疎通を図りながら生活を送っている。看護はひとりでは成り立たないし、ひとりでは家族も社会も生まれない。そうして、様々な“他人”との関わりがあった上で、自分自身との対話も育まれていくのだろうか。

その中でも、夫婦という関係性は“他人”二人が家族になるのだから不思議なものだ。今回、仕事もプライベートも共にしているkitafukuの松坂夫妻にお話を伺った。

松坂匠記さん(以下、匠記さん)、松坂良美さん(以下、良美さん)は『好きと得意から生まれるやってみようを二人三脚で応援する』を理念にkitafukuを2019年に立ち上げた。

kitafukuという会社を簡潔に説明するのは難しいのだが、理念の通り、二人三脚という言葉を体現している温かな雰囲気をまとった松坂夫妻。二人は、医療系システムエンジニアとして勤めていた企業を退職後、現在もkitafukuとして、システムエンジニアを一つの生業としている。

「医療系システムエンジニア」としての自分

「医療系システムエンジニア」とは、病院内で使用する、電子カルテや受付機などのシステム開発や管理を行うお仕事。「病棟の看護師さんとも交流がありましたし、お世話になりました。」と、匠記さん。二人共、全国の病院に足を運んできたのだそう。

この職業を志した理由について匠記さんは

「お姉ちゃんみたいに慕っていた友人が病棟の看護師さんでした。その人から『職場にいる看護師の人手不足が深刻で、患者さんとゆっくり関わる事が出来ず悔しい。』と言うような話を聞いて、自分も医療業界の道に進みたいと思うようになったのがきっかけです。

自分が医師になることは難しいかもしれないけれど「医療系システムエンジニア」としてIT技術を使って、診療が上手く回る事でより多くの患者さんの診察を出来たら、自分も多くの命を支える事が出来るんじゃないかと思ってこの仕事を目指すようになりました。」

晴れて「医療系システムエンジニア」として働き始めた匠記さんは、様々な病院に携わるうちに心境の変化があったと振り返る。

「当時はIT技術を使って、診療効率を充実化させていく理想を思い描いていました。でも、病院で現場を目の当たりにすると色々な場面に遭遇する機会もあって。

診療を効率化させる事も大事だけど、病院にかからないように健康的な身体作りを目指す事だとか、そう言う事に主眼を置いた方が良いかもしれないと思うようになりました。やりたい事が変わってきたんです。」

そのような立場から「医療業界をサポートしたい」と言う思いでいた匠記さんは、健康の捉え方や価値観を育み、新たな「やりたい事」を見つけたのだ。そうして5年間勤めた会社を退職、独立した後にkitafukuを立ち上げるまでは、フリーのエンジニアとして働かれていたのだそう。

二人三脚、最初の一歩

北海道出身の良美さんは、匠記さんと同じ企業の北海道支社に配属されていた。その後、東京の本社に異動し、休日に職場の同期が集まるフットサルクラブをきっかけに二人は出会う。匠記さんが退職した1年後、良美さんも退職し二人は結婚。そうして、夫婦二人三脚の日々が始まったのだった。

結婚後kitafukuを始めたきっかけを尋ねると

「結婚を考えた頃に『この先どこに住もうか』って話になって、東京で暮らすと二人共地元から離れる。かと言って、互いの地元の北海道か福岡に住んでも、片方は地元から離れてしまう。二人共地元は好きなので、それは寂しいなと。

どこに住んでいても地元と関わりがあるようにしたいし、何なら仕事も、福岡に住んでいても北海道の仕事が出来たら良いな、とか。そんな事が出来たら良いねって当時は机上の空論でしたけど、そんな話をしていくうちに会社にする前身となる『きたふくプロジェクト』と言うコミュニティ活動を始めました。」

と、良美さん。

「少し欲張りかもしれませんが、今住んでいる地域の人も大切にしたいという気持ちもあって。そんな経緯で好きな事、得意な事を地域と関わりのある事から仕事を作っていきたいと思い、出来ることから始めました。」

そう話す匠記さん。

二人は“働くこと”も“休日を過ごすこと”も分け隔てなく、人生として受け入れているのだと感じた。システムエンジニアという仕事に捕われず「どうありたいか」を模索した結果「好きと得意から生まれるやってみようを二人三脚で応援すること」を始めた二人は、色々な事に挑戦していく。

二人だから生まれた“エンジニアじゃない”仕事

“漫画を描くエンジニア”と名乗っている良美さんが、エンジニアでは無い仕事に取り組むようになったきっかけについて尋ねてみた。

「エンジニアは昔から目指していたんですけど、絵を描くのが昔から好きで、漫画家になりたいと思っていた時期もありました。でも、漫画家として生活を送る自信は無いからって諦めて。勿論、エンジニアも好きなお仕事ですが、個人的に漫画や絵を描くのはずっと好きでした。

ある時、LINEスタンプを誰でも作って販売出来る事を知って、試しに作ってみたんです。でも何だか恥ずかしくて、積極的に使えないでいたら夫が『このLINEスタンプめっちゃ可愛い!』って使うようになって、それを見た友達の間で私のLINEスタンプを購入して使ってくれる人が増えて、とっても嬉しかったです。

金額は微々たるものですけど、お金を出して友達が買ってくれた事実も嬉しくて。小さいけれど仕事に出来た実体験になりました。今では本業一本にこだわらず、色んな選択肢があると知って小さい事からでも出来ると楽しいですね。」

二人三脚、最初の一歩は、互いの“好きと得意”を応援する事から始まったのかもしれない。その後、良美さんは自分のように、個人的にひっそり温めていたスキルや趣味、好きな事を持つ友人の存在に気づいたのだそう。

そうして自分や友人の“好きや得意”を集めたイベントを開催するようになったのだと、良美さんは振り返る。

「レンタルスペースを使って、コーヒーや料理、雑貨、アクセサリーとか好きでやってきた友達を呼んで、スキルを売り買いするイベントを開催しました。売り上げが目的では無く、自分のスキルを売り買いする体験自体に嬉しさを感じて貰えたらなと思って。その後、不定期でイベントを開催するようになった感じです。」

開催を重ねるうちに、二人が始めたイベントは大きく成長し、匠記さんの出身地である北九州市の自治体とタッグを組むまでに。イベント参加者同士も交流を重ね、新たな仕事が生まれるなどkitafukuによる温かな循環が生まれたのだった。

違う二人の歩み方

「去年からはテレワークも増えてずっと一緒にいますね。」と笑い合うkitafukuの二人。

二人の関係性が良好な所以について

「自分の当たり前を押し付けないようにする事です。あくまで他人、良い意味で。育ってきた環境が違うので、家族とはいえ別の人間なんだと認識してます。それを念頭に置かないと意見を押し付けちゃうんで。

付き合って間もない頃、喧嘩ばかりしていて、本当に意見が合わなくて。でも、二人の性格が違うという事は、それぞれ大事にしてる事が違うからだと気づいて。夫は一人で考え事がしたい人だけど、私は悩んでいる時に誰かと話したいとか。」

夫婦二人が「他人だと認識する事」を大切にしているとは意外な返答だった。共に生きていく意志を持つ二人の対話は、互いをエンパワーメントし合っている。

匠記さんは

「価値観が違うのは当たり前だと思っていて。どっちの価値観が大事とかでは無く、二人でどういう価値観になるかを擦り合わせていく感じです。」

と、話す。kitafukuの二人だから生まれる新たな価値観は強い絆の賜物なのだ。