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【eventreport】『看護師の私たちが考える、自分を大切にする生き方』

看護師として長年、現場で働いてきた片岡 幸子さん(以下、片岡さん)と、植竹 真理さん(以下、植竹さん)が主催のオンラインイベント『看護師の私たちが考える、自分を大切にする生き方』。

お二人が「本当にやりたい看護」を実現する上で強く実感したという「自分を大切に生きていくこと」について、それぞれの考えや経験をもとにお話しされました。今回、イベントに参加した編集部がレポートをお届けします!

【講師 プロフィール】片岡 幸子 (一般社団法人がんサポートナース代表理事)

1967年長崎市生まれ。息子2人をシングルで育てる。(現在、5歳の孫もいます)20歳で看護師免許を取得し、総合病院、クリニック、看護学校、保育園、訪問看護を経験。様々な診療科を経験し、最後の4年間は、念願だった緩和ケア病棟で勤務。49歳で病院勤務を卒業。2019年10月1日一般社団法人がんサポートナースを設立し、がんと診断された方や御家族、大切な方を亡くされた方に向けて病院の外でサポートをしながら、同じように活動したいと思っている方向けに、養成講座を開講し、地域で医療のすき間を満たすために活動するメンバーを増やしている。

【講師 プロフィール】植竹 真理(NPO法人幸ハウス、幸ハウス富士 共同代表)

看護師、保健師。出産を機に、一度看護職を離れるも、2017年、NPO法人幸ハウス代表の川村真妃と出会い、再び看護の道へ。現在は、幸ハウス富士で看護師をしながら、幸ハウスの在り方を伝える活動にも力を入れている。また、幸ハウスで開発した、死生観を深め、大切な人と語り合うことを可能にする「414(よいし)カード」を使って、誰もが、自分が大切にしたいものを大切にしながら生きていくことを考えるためのワークショップを、地域や学校で行っている。

「看護師の私たちが考える、自分を大切にする生き方」を通して伝えたい思い

看護師として、現場で長年働いてきた中でいつの間にか自分の健康、生活など様々なことを犠牲にした働き方になってしまい、やりたい看護が出来ずにいたという「一般社団法人がんサポートナース」代表理事 片岡さん。しかし、このままではいけないと組織を離れ「本当にやりたい看護」を実現する為のシフトチェンジを経て現在に至ります。今回、そんな片岡さんに共感した「幸ハウス富士」共同代表 植竹さんと共に、それぞれの体験談や、大切にしている考えについてお話されました。

植竹 真理さんの「自分を大切にする生き方」について

①傾聴と対話から「大切にしたい看護」を探し求めて

自分を大切にする生き方について「一生のテーマにしていきたい」「自分自身、まだ完璧とは言えないのですが、今考えていることを言葉で表現することも私にとっての自分を大切にする生き方だと思っていますので今回、お話させて頂きます。」と話す植竹さん。

「私は看護師になって最初に大学病院のがんセンターに勤めていました。当時から、心と耳を寄せてじっくり聞かせて頂く患者さんとの傾聴と対話の重要性を感じていました。

病棟にいた頃、いつも最後まで病棟に残っている看護師だったんです。病棟って皆さんご存知のように凄く忙しいですよね。看護師さん達は本当に休む暇もなくずーっと動いています。病院には検査や治療、ケアだったり沢山の大切な役割があるので、足を止めて患者さんの目を見てじっくりお話を聞くという時間は中々私も取れませんでした。」

「なので、ナースコールや電話で呼び出されない患者さんと一対一の時間を業務を全て終えた後に作っていたんです。そんな時に患者さんは『本当は家に帰りたいんだ』『本当は治療をやめたい』だとか、その人の人生において大切なことを私にお話をして下さいました。私はそういう時間が自分にとっても、看護師としても、すごく尊くて一番やりがいを感じる時間でした。

患者さんが私のことを信頼して大切なお話をして頂いた時、どんなケアをするよりも、どんな薬を使うよりも、言葉にしがたいような安心した穏やかな表情を見せて下さったんですよね。その姿を見て、丁寧に心を寄せて傾聴し対話することの魅力や素晴らしさを、より実感していくようになっていきました。」

そうして「自分が大切にしたい看護」を深め、より大切に出来る場所を探す植竹さんは、訪問看護を経験した後、出産を機に一度、看護職を9年ほど離れます。

その間も「自分が大切にしたい看護」が出来る場所について考え、対話を深められるような看護師になりたいという想いが途切れる事はありませんでした。

②「NPO法人 幸ハウス」との出会い

看護職を離れて9年経過した頃、日頃お世話になっていた整体師の先生から「やりたいことってこういうことじゃないですか?」と、教えて貰った「NPO法人 幸ハウス」の理念に感銘を受けたと植竹さんは振り返ります。

「幸ハウス富士は「病気になっても、病人にならない」という命題を軸に『患者さんが自分の生き方を考えるための寄り添う場所を日本中につくる』『誰もが死生観を語り合える場をつくる』という、2つの使命を掲げて患者さん自身が自分と向き合い、どうしたいのかを決める力をそっとサポートする事を目指している場所です。

代表であり、医師の川村真妃による理念を読んだ私は、自分の形をした穴があるとしたらそこにスポンとはまる感覚でした。施設がある富士市との縁も無く、代表と会ったことも無い私が、電話を通じて熱い想いを川村へ話したのが最初でした。

幸ハウス富士のオープン半年前でしたが、互いの想いを語り合い、運命を感じた私はその日のうちに、幸ハウス富士で看護師として再び歩み始めることを決めました。」

「幸ハウスのあり方が医療だけではなく、地域や学校、家庭、職場に広がると、社会はより温かいものになると私は確信しています。」と語る、植竹さんは今後、医療現場の他にも幸ハウスのあり方を様々な場所で伝えていきたいと目を輝かせます。

③自分を大切に出来るから、人を大切に想える

「自分を大切にしてこそ人を大切に出来る」と考える植竹さんは、現代社会は人に優しくする事や、思いやりなど自分ではない人へ焦点を当てたテーマが注目されているように感じるのだそう。

「◯◯が出来て◯◯が得意な自分ではなく、あるがままの自分を認めて好きでいられるといいなと思います。それを伝える為には、子供の頃からの伝え方や教育が影響するかもしれません。私自身、自分を大切にすることについて子供に伝える授業を行ってきた事があり、近々、そのような授業を担当させて頂く予定があります。

その際は、一方的に伝えるのではなくまずは『自分を大切にするってどういうことだろう?』と質問してみたいなと思ってるんです。それを教えてもらった後に、私が考えることをお話して、何か一つでも生きるヒントになれば嬉しいなと思っています。」

④自分を大切にする為の四つの柱

そして、植竹さんは「自分を大切にする為の柱」として四つの考えをお話されました。

・自分の大切にしたいものを大切に

「自分が生きていく中で大切にしているもの、大切にしたいものを自分で考えて言葉で表現することが重要だと思っています。そして、誰かとお互いの大切なものを知り得ることが出来ると、お互いを傷つけ合う事は無くなるんじゃないかなんじゃないかなと。なので、自分が大切にしたいものを大切にする。それが何か表現することを一つ目の柱と考えます。」

・自分の気持ちをきちんと表現

「自分が大切にしているものを言葉で表現することも大切だということを伝えたいと思います。嬉しい、楽しい、幸せだとかポジティブな表現だけじゃなくてネガティブな感情もきちんと伝えることが大切だと伝えたいです。『あなたがこうだったから』ではなく、自分を主語にして気持ちを伝えることがですね。」

・自分のことを自分で決める

「自分の人生は自分が主役なんですよね。誰々がこうだから、こう言われたからを理由に物事を決めるのではなく、自分を主語に考える癖を幼い頃からつけて欲しいなと感じています。辛い経験も自分の選択であれば受け止めることが出来るかもしれません。」

・目標や夢を持つ

「夢と言うと、大きなものに聞こえますが、明日の自分はこうでありたいとかでも良いですよね。特に子供たちには、未来の自分に目を向けてほしいなぁと思います。小学生の授業を去年させて頂いた時、このことを伝えると、ある子から『自分の気持ちを伝えてもいいんですね』と感想を貰いました。自分の気持ちを伝えることは自分の為でもあるし、人の為でもあります。あるがままの自分を認めて好きでいること。何が出来るあなたじゃなくてあなたそのままが素晴らしいこと。苦しいときは助けを求めて良いし、言葉に出して良いんだよと。これが私なりのメッセージです。子供に限らず、私含め大人も大切にできたらいいなという風に思っています。」


片岡 幸子さんの「自分を大切にする生き方」について

①現場で走り続けた日々

「一般社団法人がんサポートナース」代表理事の片岡さんは、組織で働いてきた経験、転機となった出来事や、法人立ち上げの中で考えた「自分を大切にする生き方」について、お話されました。

寿司屋の長女として長崎で生まれ育ち、現在は二人のお子さまと、お孫さまもいらっしゃる片岡さん。様々なライフイベントを乗り越え、子育てに追われながらも、シングルマザーとしてフルタイムで働いていたのだそう。

「300床前後の総合病院から、小さな眼科のクリニック、地域密着した病棟が一つしかないような病院などで働いて、産科・小児科・精神科以外は全て経験をしてきました。他には成田空港に併設している保育園や、看護学校の教員も経験しました。

二十代後半からいつか携わりたいと思っていたのが緩和ケア病棟で。その頃はまだ、緩和ケア病棟という名前すら無く、ホスピスのような場所に行きたいなと思いながらも経験を積み、四十代になってようやく緩和ケア病棟に巡り会う事が出来たんです。」

②走り続けた末、人生の転機

「病院勤めは緩和ケア病棟が最後でした。そして勤めていたある日、突然職場へ行けなくなったんです。俗に言うバーンアウトですね…。

当時の看護部長が親身になって『今まで休んでこなかったでしょう?ゆっくり休んでいいよ。』と、存分に休ませて頂いて。その期間『白衣を脱ぐのか、脱がないのか』について、とことん自分と向き合いながら考え抜いた結果、2ヶ月休職したあと退職を決めました。」

「その後は、NPO法人フローレンスという障害児保育や幼児保育、養子縁組やこども宅食など子供と親御さんを支える事業を担うベンチャー企業に転職しました。初めての障害児との関わり、訪問看護を経験して、立ち上がって間もないメンバーの皆と模索する日々でした。一般企業の働き方や少し変わった訪問看護にも新たな気づきがあり、考え方を変えるきっかけにもなったと思います。」

③独立の道へ

「自分がやりたいことを人に話していると『それは需要があるんじゃないですか?自分でやればいいのに。』と言われた事と、がんカフェに参加した際に、がんサバイバーの方々が、がんと診断された日が一番辛かったとお話しされたことを聴かされて緩和ケア病棟(病院)を退職する覚悟が出来ました。

片岡さんは実際に「一般社団法人がんサポートナース」を立ち上げた。現在は、がんサポートナースに関する認知向上を目指して発信を続けている。

「最初はとにかく、ブログで自分の存在を発信し続けていました。そのうちに、がんと診断を受けた方と、そのご家族から依頼を受けるようになって。昨今は、医療職の方からご相談頂く機会も増えていますね。医療に携わる人たちが自分を犠牲にして働いている中で、コロナまで重なって考えさせられる日々だなと思っています。

現在は、ブログやSNS、クラブハウスやstand.fmという声の媒体を使った情報発信も毎日続けていて、そのお陰か、雑誌の連載でインタビューを受けることもありました。」

他には、植竹さんが所属する「幸ハウス」が開発した「414カード」を使った死生観を語り合うワークショップなどの主催イベント運営や、看護師の起業サポートを行っているのだそう。

④自分を大切にしたいから、自分で選ぶ。

「私は30年ほど現場で働いてきましたが、看護師という立場上、目の前にいる患者さんが自分より遥かに辛い方々が多く、自分が辛くても休めないんですよね。大体の現場は人手不足が慢性化していますし。

私は『自分がここで休むと回らない』と思い込んで、散々自分を痛め付けていたせいで、身体も気持ちも辛いままで働き続けてきたことが、どれだけいけないことだったのか、病院を離れてから深く知りました。」

「自分の人生は誰にもコントロール出来ないもの。自分の意志でコントロール、決定していこうと決めてから楽になってきました。それまでの固定観念が緩やかになって、視野が広がって。例えば、私は足を使って色々な人に会うことが好きなんだな、と気付くこともできました。

色んな理由をこじつけて動かないことを選択するというのは勿体無いなと思います。選択しない選択も自分が選択しているもので。これから、自分を大切にしたいと思う方には是非、自分にブレーキをかけずに、自分自身の心と体が健康でないと何も出来ないんだと思い出して欲しいなと思います。」

まとめ

お二人が語る『看護師の私たちが考える、自分を大切にする生き方』。それは、とても難しい事ではありません。誰しもが自分の中に持つ感情や考えを無視せずに見直すこと。「メディケアナース 」読者の皆さまにとって、自分を大切することについて改めて振り返るきっかけになりますと幸いです。

参考

一般社団法人がんサポートナース

NPO法人幸ハウス・幸ハウス富士